最高裁判所第一小法廷 平成11年(あ)244号 判決 1999年10月21日
主文
原判決及び第一審判決を破棄する。
被告人を懲役二年に処する。
第一審における未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
理由
弁護人森謙の上告趣意は、事実誤認、量刑不当の主張であり、被告人本人の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも適法な上告理由に当たらない。
しかしながら、所論にかんがみ、職権をもって調査すると、原判決は刑訴法四一一条三号により破棄を免れない。その理由は、以下のとおりである。
一 本件公訴事実及び第一、二審判決の要旨
本件公訴事実の要旨は、「被告人は、甲野花子(当時一五歳。以下「花子」という。)を普通乗用自動車に連れ込んで強いて同女を姦淫しようと企て、平成九年九月二日午前四時三五分ころ(以下、平成九年については、月日のみで記すことがある。)、神奈川県平塚市西八幡<番地略>所在の有限会社△△薬局××店(以下「△△薬局」という。)駐車場において、同女に対し、所携の軽便かみそりを突き付け、『車に乗れ。』、『言うことを聞かないと殺すぞ。』などと言って脅迫し、同女を自己が運転する普通乗用自動車に同乗させた上、同車を同県秦野市下大槻<番地略>先の金目川河川敷(以下、単に「河川敷」という。)まで疾走させ、同所に停止させた同車内で、同女の顔面、腹部を手拳で数回殴打するなどの暴行を加えて、同女の反抗を抑圧し、同女を強いて姦淫するとともに、同日午前五時一〇分ころまでの間、同女を車内から脱出困難にさせて、監禁したものである。」というのである。
第一審判決は、公訴事実記載のような被害を受けたとする花子の供述の信用性を認め、公訴事実と同旨の犯罪事実を認定して、被告人を懲役二年六月に処し、被告人からの控訴に対し、原判決は、第一審判決の事実認定及び量刑判断を支持して、控訴を棄却した。
二 当裁判所の判断
1 以上の原判決及び第一審判決の認定事実のうち、被告人が河川敷に停止させた自動車内において花子に暴行を加えて強姦したとの部分は、同女の供述、これと符合する客観的証拠及び第三者の供述並びにそれを認める被告人の供述等により、是認することができる。しかしながら、右認定事実のうち、被告人が強姦の目的で△△薬局駐車場で同女を脅迫して自動車に乗せ、河川敷に至るまでの間監禁したとの部分は、以下のとおり是認することができない。
2 まず、右の部分に関する直接的な証拠としては、次のような花子の証言があるにとどまる。
(一) 私は、九月一日夜、姉春子(当時一九歳)と同県平塚市内で遊んでいたが、同日午後一一時ころ、姉がテレホンクラブ(以下「テレクラ」という。)に冷やかしで電話をしたところ、相手の男と電話がつながり、姉は、私の使用する簡易型携帯電話(以下「PHS」という。)の電話番号を教えた。
(二) その後、私は、姉とともに、翌二日未明にかけて、氏名不詳の男性とドライブに出かけ、△△薬局の前で同人と別れた。
(三) その後、私と姉が近くのコンビニエンスストアにいた時、私のPHSに知らない男から電話が入ったが、すぐ切った。しばらくして、また私のPHSに電話が入り、今度は姉が出て、話をしていた。姉は、その男と△△薬局前で待ち合わせる約束をし、自分の格好も教えたと言っており、私にどのような男が来るか隠れて見ていようと言った。その後、姉の携帯電話に別の男友達から連絡が入り、姉がその友達に会いに行ったため、私は、独りで帰宅することになった。
(四) 私が歩いて帰る途中、△△薬局の前を通り掛かった際、急に自動車が止まり、被告人が手を振ってきた。姉がテレクラで呼び出した男だとは思わなかった。私が無視して帰ろうとすると、被告人は、車から降りてきて、まゆをそるときに使うかみそりを持って、私の右腰の辺りに突き付け、「殺すぞ」などど言って、私をむりやり車の助手席に乗せた。
(五) 私は、逃げようと思い、車のドアのロックを上げたが、被告人にロックを下げられ、車が発進したために逃げられず、河川敷まで連れて行かれた。被告人は、運転中、かみそりをコンソールボックスの上に置き、私の体を触ってきたので、触らせないようにした。私は、怖くて、車にいる間中泣いていた。私は、車内で被告人と話をしていない。私は、車内で被告人に妊娠していると言ったことはない。
3 花子の右証言(一)ないし(三)については、花子の姉春子が、第一審において、概ねこれに沿う供述をしている。
また、本件の直後、現場の河川敷付近を通り掛かり、花子を自車に同乗させた乙山一郎は、第一審において、同女から涙ながらに「男の人に車に連れ込まれ、かみそりのようなもので脅かされて、強姦された。」と訴えられ、同女を秦野警察署に連れて行ったが、その途中、男(被告人)から花子のPHSに電話がかかってきたので、同女に代わって出たところ、相手の男が「全然やらせないから、やっちゃいました。」と軽い調子で言っていた旨供述している。
4 これに対し、被告人は、前記の部分について、捜査、公判を通じて、概ね次のとおり供述している。
(一) 私は、九月一日夜半ころからテレクラに何度か電話をかけたところ、九月二日午前四時ころ、テレクラのツーショットダイヤルが女性とつながり、遊びに行こうという話がまとまって、待ち合わせの約束をした。相手が冷やかしのつもりで来ないと困るので、相手と携帯電話の番号を教え合った。確認の意味で、私の携帯電話から相手のPHSに電話をかけたところ、相手が電話に出たので、これは本物だと思った。
(二) 家を出る前に、相手から本当に来てくれるのかという確認の電話があり、その後、車を走らせたが、相手の言った場所が分からなかったので、その場所を聞くために相手のPHSに電話をした。その後、相手から電話があり、その道案内で△△薬局前まで行ったところ、歩道上に、先に教えられた服装をして携帯電話をかけている女の子を見付けたため、相手の女性はこの子だと思った。
(三) 私は、その子のいる駐車場に車を止め、車を降りてから、その子に「何しているの。」、「遊びに行こうよ。」と話しかけた。すると、その子から「今待ち合わせをしているから。」と断わられたが、私が「さっき電話で話をした人だよ。」と言うと、その子は、分かったらしく、自分から車に乗ってきた。私は、当時かみそりを所持しておらず、その子にかみそりを突き付けるなどして脅かしたり、むりやり車に乗せたことはない。
(四) 私は、「ホテルへ行こうか。」などと言って、車を走らせた。その子は、肉体関係について了解していると思った。車中ではずっとその子と会話をしていた。この時、その子が妊娠していることを聞いた。
5 そこで、花子及び被告人の右各供述の信用性について検討する。
(一) 検察官作成の関係者架電状況一覧表(花子のPHSや被告人の携帯電話等の発信状況をまとめたもの)によれば、被告人が九月一日午後一一時四三分から同月二日午前三時四八分まで四度にわたりテレクラに電話をかけ、同日午前四時二分には花子のPHSに五・六秒間電話をし、次いで同日午前四時一一分から四分一一秒間にわたり同電話と通話していること、また、花子が被告人と出会う直前の同日午前四時二二分から三分四九秒間にわたり、同女のPHSから何者かの携帯電話(記録上、相手方は特定できない。)に電話をしていることが明らかであって、この状況は、概ね被告人の右供述4(一)、(二)と符合する。これに対し、花子は、捜査段階においては、一貫して、被告人とは△△薬局前において偶然出会ったと供述し、起訴後の取調べで、捜査官から関係者の通話状況の記録を示されて初めて、前記のとおり、テレクラを通じて被告人と知り合ったことを供述するに至っており、当初はこの事実を隠していたことが明らかである。しかも、花子は、被告人と出会う直前の右電話の相手方について、被告人であることを否定するのみで、何ら具体的供述をしていない。
このように、テレクラを通じて知り合い、△△薬局において出会った経緯についての花子の供述は、にわかに信用し難いものであるのに対し、この点に関する被告人の供述は、信用性を否定し難いものというべきである。
(二) また、花子は、いきなり被告人にかみそりを突き付けられて脅され、むりやり車に乗せられたと供述するが、それは、テレクラを通じて待ち合わせをしていた男性の相手方女性に対する行動としては、いかにも唐突で不自然といわざるを得ない。また、被告人は、当時かみそりを所持していなかったと供述するところ、記録によれば、花子が強姦の被害を受けた際に使われたというバイブレーターは後に被告人の自動車内から発見されているが、前記かみそりは発見されておらず、被告人が当時かみそりを所持していたという花子の供述には、信用性に疑いが残る。
(三) 花子は、車内で被告人と会話を交わしたことを否定し、特に、被告人に妊娠していると告げたことを強く否定しているが、花子の妊娠は、本件後に同女が病院で検査を受けて裏付けられた事実であるところ、花子が本件当時一五歳であり、外見上も妊娠の徴候が見られなかったことからすると、同女と初対面の被告人が右の事実を知り得る可能性は、同女から直接告げられる以外には考え難いところであり、花子は、車内で被告人と親密な会話を交わしたことを殊更に否定している疑いがある。
(四) なお、乙山は、花子が「男の人に車に連れ込まれて、かみそりのようなもので脅かされて、強姦された。」と言っていたと供述するが、同女が被告人と知り合った経緯に関する供述が信用し難いことは、前述のとおりであり、同女が被告人とテレクラで知り合い、被告人の運転する車に自ら乗ったことを隠すために、右のように言ったという疑いも否定できない。
(五) 以上の検討によれば、花子の供述のうち、被告人と出会った経緯、被告人の運転する自動車に乗車した際の状況、河川敷に至るまでの車内の状況等に関する部分は、信用性に疑いがあり、他方、この部分に関する被告人の供述は、必ずしも信用性を否定できない。
6 そうすると、この部分に関する花子の供述の信用性を肯定する一方、被告人の供述を信用できないとした原判決の認定判断は、是認することができない。
三 結論
以上のとおり、被告人に監禁罪の成立を認め、△△薬局駐車場において強姦罪の実行の着手があったとする原判決は、証拠の評価を誤り、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認をしたものといわざるを得ず、それは、本件において認め得る強姦行為の犯情に著しい影響を及ぼすものであるから、原判決及び第一審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
よって、刑訴法四一一条三号により原判決及び第一審判決を破棄し、同法四一三条ただし書により被告事件について更に判決する。
第一審判決の挙示する証拠によれば、被告人は、神奈川県秦野市下大槻<番地略>先の金目川河川敷に停止させた普通乗用自動車内において、甲野花子(当時一五歳)を強いて姦淫しようと企て、平成九年九月二日午前五時一〇分ころ、同女に対し、手拳で顔面を殴打したり、髪の毛を引っ張るなどの暴行を加え、同女の反抗を抑圧した上、同女を強いて姦淫したものである。
法令に照らすと、被告人の判示所為は、刑法一七七条前段に該当するところ、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、同法二一条を適用して第一審における未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入した上、前記のような本件犯行の経緯、態様に加え、被告人に前科がなく、被害者に対して五〇万円が支払われて示談が成立していることなどの情状を考慮し、同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して、第一、二審及び当審における訴訟費用は被告人に負担させないこととする。なお、被告人に対する本件公訴事実中監禁の点は、前記のとおり犯罪の証明がないが、前記強姦罪と一罪の関係にあるとして起訴されたものであるから、主文において特に無罪の言渡しをしない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大出峻郎 裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄)